岡本氏×梶山氏

今日の質問内容としては、始めた所から…最初はハードですよね。
その当時の雰囲気とか、誰が上手かったとか、お二人の出会いとか。

岡本
細かったよ。二人とも(笑)
一同
高済
本当ですか?(笑)
梶山
俺、今の方が無いよ。
岡本
あ、そうなの?あの頃からしっかりしてたからなぁ(笑)
梶山
「どうしたらダーツ上手くなりますか?」って言われたら、「まず太れって(笑)」
高済
当時多かったですか?
梶山
プロが皆太ってったからね。当時は酒飲みながら、タバコ吸いながらってのがプロの試合だったからさ。
高済
あぁ。なるほど。
梶山
だって、キース・デラーなんて、若いときはめっちゃ細かったもん。ずっと痩せてたのジョン・ローくらいだね。
※キース・デラー、ジョン・ロウは共に英国出身のダーツプレイヤー。80年代から現代まで世界のトッププレイヤーとして活躍。近年はダーツ振興などに置いても精力的に活動している。
高済
その時期、海外の試合などはどうやって見てたんですか?
梶山
ビデオ。
高済
へぇ〜。向こうのTVを撮ったやつとか?
二人
そうそう。
岡本氏 梶山氏

そもそも、ダーツとの出会いは?

岡本氏梶山氏 岡本氏
梶山
たまたま勤めた会社にハードボードがあって…。って言うかね、基本的に北海道でダーツが最初に始まった場所って言うのが、 ホテルオークラのプレイボーイクラブなのさ。そういう所って、会員制で医者・弁護士とかばっかりでしょ。 それのコミュニティーに入ってた先生がたまたま、俺の勤め先の先生だったの。
※現ホテルオークラ、元ホテルアルファーに存在した会員制クラブ。バニーガールのサービスやバンド演奏、本格カクテルの楽しめる大人の社交場として一世を風靡した。
岡本
それが何年前だっけ?
梶山
22歳で始めてるから、30年か31年前。去年の北海道選手権が30周年だったんだよね。
高済
長いですね。協会はそのときから?
梶山
プレイボーイクラブのマネージャーだったのが松浦さんだったのよ。 松浦さんが「ボードあるけどどうしたら良いかな」ってJDAに連絡して、来てもらって、全部教えてもらって、 北海道ダーツ協会は立ち上がったの。
※現在SDA(札幌ダーツ協会)のTRIDENTに所属するプレイヤー。ホームべニューは札幌ダーツ協会本部が置かれているJ&D。SDA会員番号001番。
※社団法人JDA(日本ダーツ協会)は75年に発足した公益法人団体。現在、ダーツライブ社が特別協賛している「SOFT DARTS PROFFECIONAL TOUR JAPAN」を公認する団体でもある。
高済
そこにしか無かったんですか?
梶山
そう。だから、リーグ戦はプレイボーイクラブでしかやらなかったの。
高済
会員のみ?
梶山
会員がいれば、普通の人も入れる。そこでダーツをはじめた非会員もダーツであれば入れた。ただし、ジーパンやスニーカーは駄目。
高済
その時からダーツをやってる人はまだ残ってますか?
梶山
もうそんなに残ってないかな。
高済
リーグ会員は何人位でした?
梶山
チームとしては5チーム位かな?北海道ダーツ協会が発足して、リーグが行われるまではすぐだったな。

当時と今のダーツ用品の違いは?

梶山
ストレートバレルが主流だった。
岡本
やたら重いのもあったよね?
梶山
うん、50gまではOKだったから。
高済
50!?
梶山
外国人は結構重いの使ってたけど、日本人は19〜23gが主流かな。
高済
どのように手に入れていたのでしょう?ショップなどは?
梶山
無い。あっ。茶谷碁盤店とか…今はもう無いもんね?
岡本
狸小路に中川ライター店と競合してた茶谷碁盤店ってあったの。そこにはいろんな物を売ってたな。
※茶谷碁盤店はかつて狸小路3丁目に存在したおもちゃ屋。現在も同4丁目に店を構える中川ライター店とライバル店的存在であった。
梶山
そごうとかプランタンにもあったね。でも、それも何年か後の話で…だいたいみんな東京で買ってた。
岡本
東京のあそこ…何だっけ?
梶山
NOZ DARTS。
岡本
すっごい洒落てたね。
※NOZ DARTSは東京都杉並区に店を構える老舗ダーツショップ。現在も営業中で熱狂的なファンを持つ知る人ぞ知る名店。
梶山
メーカーのカタログとか取り寄せてたよ。
高済
Harrowsやunicornですか?
※Harrows、unicorn、デュロー、ファルコン、スタックはダーツバレルを主に扱う海外ダーツメーカー。
梶山
Harrowsは後から出てきた。unicornは昔からあるけど。主流はデュロー。
高済
デュロー?
梶山
エリック・ブリストゥが使ってたバレル。
※エリック・ブリストゥは80年代に活躍した英国出身のプレイヤー。80年〜91年のワールドチャンピオンシップでは5度の優勝、4度の準優勝を誇るなど一時代を築いた。
高済
今は聞かないメーカーですね。
梶山
うん。デュロー、ファルコン、スタックとか。スタックってのはロールスロイスのエンジンも作ってる所のダーツ。
高済
昔の方が、一般企業が絡んでるイメージありますよね。
梶山
うん。ダンロップもダーツ出してたね。
高済
晃さんもダーツはその頃からですか?
岡本
うん、僕の先輩がやってる店があったんだけど。そこによく飲みに行ってて。で、そこでたまに試合やってたんだよね。 よくわからないから普段通り飲みながら騒ぐじゃない?そしたらよく怒られてたよ。「晃うるせーぞ!試合中だ!」って(笑) その頃からいたずら半分でやり出して何年か経った頃、友達の店にダーツボードが置いてあったんだよ。そこで、賭けゲームで… やっちゃ駄目だけどね(笑)後輩に勝負を挑まれて、だいたいルール知ってるし、と勝負したら3回続けて負けてさ。悔しくて悔しくて。 最近ハードで新しく作ったチームにそのお店のオーナーがいるんだけど、「きっかけ作ったのはお前だからな」って言って一緒にやろうってなった。
高済
練習はどういった感じでした?
岡本
当時、自分でやってた会社の事務所にダーツボード買ってね。暇見てずっと投げてた。若い奴が帰ってきたらみんなで飲みながらやってたよ。
梶山氏 岡本氏

道内の他都市はどういった感じだったのでしょう?

梶山氏 岡本氏
梶山
第一回北海道選手権の時にはもう旭川と帯広にも協会が発足していた。だけど、帯広って2回位協会潰れてんだよね。 帯広が今の状態になったのは結構後なんです。その間に釧路とか松前の方がしっかりしていったんだよね。
高済
全国的な繋がりは?
梶山
協会ができた時点で、JDAにも加盟してたのさ。JDAから分かれたのがJDO。
※一般社団法人JDO(ジャパン・ダーツ・オーガニゼイションズ)は日本各地に12支部を持つダーツ機関。86年設立。
高済
そこから全国的に分かれていった?
梶山
その頃の区分けって、関東・関西・北海道の3つだけだったの。
高済
北海道の歴史は凄く古いんですね。
梶山
うん。その後にすぐできたのが広島くらいかな。北海道の第一回大会にはワンタン(渡部紘士)、小宮(久雄)、キース(ワダップス)とか来てたよ。
※共に80年代から国内外問わずに活躍したトッププレイヤー。WDFワールドカップに日本代表として幾度も出場している。
高済
それが世界に繋がって?
梶山
そうだね。あの頃の世界的な大会といえばWDFだから。ワールドカップに代表で行くトッププレーヤーが北海道にも来ていた。
※WDF(ワールド・ダーツ・フェデレーション)は54ヶ国からの加盟団体で構成される国際的ダーツ組織。ワールドカップ、アジアパシフィックカップなどを主催する。

当時の北海道ナンバーワンプレイヤーは?

梶山
最初の頃は皆、どんぐりの背比べだったよ。でも、頭角を現したのは、佐藤(雅保)さん。 あの頃ワンタンも勝てなかったんじゃないかな。雅保が日本選手権行くと、ワンタンは勝てない。
※黎明期から現在なお活躍する北海道のトッププレイヤー。北海道からWDFワールドカップに日本代表として出場したのは佐藤・小森の2名のみ。
岡本
昔の全国のプレイヤーで、北海道といえば「雅保」だった。その後「小森」になっていったな。
高済
小森さんは北海道ダーツ協会が立ち上がって何年後ぐらいに始めたのでしょう?
梶山
3、4年後かな。まだ大学生だったよ(笑)
高済
小森さんは上手くなるの早かったです?
梶山
うん。あいつ就職で東京行って、師匠がワンタンだったのよ。で、ワンタンのチームに入った。
高済
それは素晴らしい環境ですねぇ。そういえば晃さんが小森さんを(MagicMotionに)誘ったんですよね?
岡本
いやぁ〜。責任取れってね。
高済
と、言うと?
岡本
当時、俺は友達の店に集うような自分たちの仲間がいてね。その頃ダーツ協会の会員じゃないから、大会も出てなかったし、 自分たちだけで盛り上がれば良いかな、って感じでやってたの。そういう所に梶もそうだし、小森英司も来るんだわ。 …腕を見せに(笑)どんだけ上手いのかな〜って思って、来たらすぐ、「一緒にやろう」って言ってドリンクマッチをやってさ。 …まぁ二人にはかなり飲ませたよ(笑)
一同
岡本
やっぱ強ぇーなー、と。英司と知り合ったのはその頃だな。 で、店のマスターに大会に誘われて、初めて出てみたんだよ。 ダブルスは一回戦敗退だったけど、シングルは3位になっちゃって。
高済
凄いですね。
岡本
まぁ人数も少なかったしね。その時、JDAから「協会員になれ」って言われたんだけど、その時は丁重にお断りしたよ。
高済
何でなりたくなかったんですか?
岡本
協会員になると、設営とか手伝わされるぞ。ってそれしか頭に無くて(笑)
一同
岡本
で、その店が無くなって、かなりダーツしなかったんだけど、しばらく後にBCGが出来て、オーナーが昔から友達だったから、 お祝いにダーツボードを付けてあげたの。それでまた投げるようになったのさ。…そしたらまたそこに来るんだよ、英司が(笑)
※札幌市のススキノ都通りにあるダーツバー。今年14周年を迎える。(2012年9月現在)
一同
岡本
で、英司が一回で良いからダブルス組みましょうってしつこく誘うから、久しぶりに出たらいきなり準優勝。それからだな、毎回だまされて…。
梶山
だまされて(笑)
岡本
大会ごとに組みましょうって。俺もだんだん調子に乗っちゃって。…勝ったら気持ち良いでしょ?
高済
完全にはまっちゃいましたね(笑)
岡本
ダブルス組まされて、協会員になって、それからダーツに絡むようになって。自分の仕事で出張が多かったから、 東京で英司によく会うようになったの。その頃、六本木でソフトダーツが芽生え始めてて。 英司がよく行く店に俺も行くようになって、ブームに乗っかったのさ。
梶山
今のブームって第二期だよね。一回目は火が付かないと思った。
梶山氏 岡本氏

その頃のマシンは?

梶山氏 岡本氏
岡本
Galaxyの1とか…でもスペクトラムが多かったかな。
※Galaxy1/世界シェアNo.1を誇る米国Aracnid社製ダーツマシン「Galaxy2」の旧来機。
※スペクトラム/米国メダリスト社製のダーツマシン。
岡本
六本木でメダリスト系の人に「北海道で代理店やってみる?」って誘われたんだけど、北海道にはまだ早いなと 思って2年くらい待たせてから、「じゃあお願いします」って。最初から英司を誘ったんだけど、家族がいるから迷ってた。 でもなんだかんだあいつダーツは投げたい訳でしょ?だから「いくらでも投げさせてやる!ていうかここまで俺を引きずり込んだのは お前だろ?」って。責任とってくれって言ってさ(笑)そしたら「わかりました」って、1、2年後に入社したんだ。
高済
なるほど。じゃあ立ち上げはお一人で?
岡本
そう。営業も設置もやってさ。集金も。初めのころに奥尻島に置いてたんだけど、集金行って帰ってくると交通費で赤字だよね(笑)
一同
高済
どうやって設置店を増やしていったんですか?
高済
昔は一般的にはあんまりダーツの認知がなかったし、ハードの連中にはそんなのおもちゃだろって言われてたんだけど、 絶対に裾野が広がるだろうって思って。経営的にもたないハードの店も多くてさ…。そのあたり商売的に成功させたのがアメリカや東京で、 そういう例を札幌にも持ち込みたかった。で、マシンを置いてくれるお店もだんだん増えてきた頃にアンテナショップとしてSunnySideUpを 出店したんだ。
※MagicMotionが直営する札幌市ススキノのダーツバー。今年10周年を迎えた。(2012年9月現在)
梶山
第一期の頃にもマシンは何台かあったけど、みんなメンテナンスが出来なくて駄目になったんよね。
高済
当時は耐久性も全然違いますよね。そういった所をディーラーとしてカバーしていったんですね。
岡本
そう。で2年目くらいにリーグも試して、あぁいけるって。大会もその年にやろうって。
高済
すすきのエレクトリックダーツフェスティバル!
岡本
そうだね。180人くらい集まって…いまじゃ考えられないけど、もうてんやわんや(笑)

ソフトからダーツを始めた人も多かったんでしょうか?

梶山
そうだろうねぇ。だってそのころ、ハードの大会って参加者80人で多いほうだったから。
岡本
梶はもちろんだし、ジョニー、吉永、K-PONとかも来てくれて。そういうトッププレイヤーの力も大きかったよね。 あとはもうほんと始めたばかりの人達もたくさんいて。
梶山
(畑野)千春がまだセカンドだった。
高済
最初はどんな印象でした?
岡本
ん〜、すぐマシンを1台入れたんだけど、初めの頃は「うちはクラブでダーツバーにする気はありません」と。 でもそのうち結構真剣にやるようになったんだろうね。しばらくしてもう1台置くことになったころには「クラブはやめました」って(笑) もちろんプレイヤーとして応援もしていたし、初めの頃から期待していたよ。
※現在札幌市円山でダーツバーVOUGを営む、北海道を代表するプレイヤー。
高済
今では北海道を代表するプレイヤーですよね。
梶山氏

選手に対しての応援というのは具体的にどのように考えていますか?

岡本氏 梶山氏
岡本
北海道という土地はほんとなにかと不利な部分が大きいから、いまでもずっと考えています。 北海道独自のツアーをやってポイント上位者を派遣するシステムを作ったりね。 沖縄大会に40人ぐらい北海道から行ってるけど、半分くらいはポイントの派遣でしょ? いつも本州の連中に北海道は凄いって言われるよ(笑)
高済
道外派遣は嬉しいシステムですよね。ハードではいかがですか?
梶山
うーん、ランキング上位者の派遣はやってるけど、それ以外にどういう応援が出来るかっていうのは難しいよね…。
岡本
面白そうな若いプレイヤーはいっぱい居るからね。ただどこまでフォロー出来るか。生活まで面倒みてってのは難しいし。
梶山
昔は佐藤(雅保)さんとかスポルディングからスポンサード年間何百万っていう話があったみたいだけど、今、国産のバレルメーカーちょっとついてくらいでしょ。
高済
プレイヤーのスポンサードとかも?
岡本
今後はね。ただ、がっちり面倒みてってのはまだかな。
梶山
伸びそうなプレイヤーが出てくればねぇ。
高済
梶山さんは?
梶山
若くなきゃ駄目でしょ(笑)
岡本
や、もちろん入ってますよ。うちは…ちっちゃい子供とお年寄り推しだから(笑)
一同
高済
スポンサードの基準は?
岡本
実績と…品行方正…容姿端麗?(笑)
高済
いま予定してるプレイヤーは基準を満たしてると?
岡本
いやぁ、○○○さんとかも居るからね(笑)
一同
岡本
性格も大事だけど、ある程度カリスマ性もないとね。昔の英司も生意気って言われてたけど(笑)トビキリ強かった。そういう人がいいな。

今後の目標は?

梶山
世界に通用するプレイヤーを(北海道から)一人くらい出してみたいよね。
岡本
そうなるよね。あれだね、イギリスに3年くらい住ませるとか…。
梶山
昔から全日本選手のハードダーツ留学例はあるんだけど…なぜかみんな潰れて帰ってきちゃう(笑)。
高済
「世界に繋がる為にはまず全国から」ですが、ハードでそういった流れは出来そうですか?
梶山
去年JSFDのサンクションが苫小牧であったよね。リーグだとHDAのリーグチャンピオンは3年前から始まったJSFD加盟協会の 全国大会に参加しているよ。ツアーの派遣選手はPDJに挑戦している人が増えてきているね。例年参加者が少ないけれど、Steeler'sも 北海道から全国、世界に挑戦する近道だと思う。
※一般社団法人JSFD(ジャパン・スポーツ・フェデレーション・オブ・ダーツ)は全国に24の加盟団体を有するダーツ機関。WDFに加盟する国内唯一の団体。
※株式会社PDJ(プロフェッショナルダーツジャパン)は、世界的ダーツプロ組織であるPDPA(プロフェッショナル・ダーツ・プレイヤーズ・アソシエイション)の日本における窓口として、PDCワールドチャンピオンシップのワイルドカード日本代表選手を選出する予選会を運営している。
※Steeler'sは全国各地で予選を行い、誰もが参加できるオープントーナメント。男女優勝者はWINMAUワールドマスターズに日本代表選手の一員として派遣される。
岡本
北海道のハードの協会は凄く良いよね。どこの地域だって色々あるなかでしっかりまとまってる。一番良い立場にいるよ。
梶山
まぁ色々お声はかかるね(笑)
岡本
ほんとハードダーツ協会こそ一つにまとまって欲しいよ。これで仮にダーツが五輪競技なんて事になっても日本は出れねーぞって(笑)
高済
確かに。本当に北海道のハード環境は素晴らしいと思います。
岡本
いまひとつ人数増えないけどね(笑)
高済
ソフトの方も少しゴタゴタしていますが…。
岡本
とにかくあれだよね、現状はメーカー同士が犬猿だから。何か一緒にやろうって事はたぶんしばらくないかなと思うんだよね。だからまぁ地域ごとでっていうか。 大会日程のすり合わせくらいだろうね。とりあえずは。
梶山
ハードと違って商売だから。難しい事とか仕方の無い事は沢山あると思う。
岡本
地域ごとっていってもディーラーも増えたし、全部ってのは難しいかもね。
高済
今後どうなっていくのでしょうか?
岡本
今は色々ゴタゴタしてるけどさ、まだ1年経ってない訳でしょ?だから時間が経てば解決する部分もあると思う。 なかなか難しいけどね(笑)北海道はいままであまりなかったから、そういうの。
高済
良い時期を知っているから尚更感じるのかもしれませんね。
高済
最後にhdwについてですが…。
梶山
良いんじゃない?ダーツの色々な情報の発信源としてどんどん発信して下さい。
高済
何か望む事はありますか?
梶山
…正しい情報?(笑)
高済
晃さんは何かありますか?
岡本
どうかな…。ネット社会というかそういうのが苦手な世代だから…。みんなが分かりやすい情報源というか…そういうのを作って欲しいかな。
高済
本日はありがとうございました。
岡本氏 梶山氏
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